豎舞台、開幕
二〇二六年八月七日
豎の字は、臣と豆を重ねて「たてる」と読ませる。横書きの世界に慣れた目には少し骨張って見えるが、この舞台の名にはこの字がよいと思った。豎舞台は、画面のすべてを縦書きで組む試みである。
ここでは横書きを混ぜない。メニューも、釦も、時計も、すべて縦に立てて右から左へ流す。どうしても横に並べたいものが出てきたら、それも右から左に並べる。洋数字は二桁までを一字分の枡に組み——いわゆる縦中横——三桁を超えたら潔く縦に積むか、漢数字に開く。
舞台にはいま四つの間がある。TODOを刻む豎帳、この綴りを置く随筆、ただ書き留める手帖、窓を並べる机。どれも一枚のHTMLで完結し、記録は手元のブラウザにだけ残る。よそへは送らない。それがこの舞台の掟である。
開幕にあたって決めたことは、玄関に五箇条で掲げた。守れているかどうか、この画面のどこかに横書きが紛れていないか、目を凝らしてもらえたら幸いである。
巻物と画面
二〇二六年八月七日
縦書きの文書は、もともと巻子本だった。右手で軸を持ち、左手で繰る。文章は右から左へ、めくるのではなく巻いて読み進める。画面の横スクロールは、この動きの直系の子孫である。
だからこの舞台では、マウスの縦回転を横送りに読み替えている。手前に回せば左へ、向こうへ回せば右へ。指はいつもの動きのまま、画面の上では巻物が繰られていく。
巻を開けば益あり——昔の人は読書をそう言った。画面を繰るにも、益はあるだろうか。
試しに、新聞のような段組も組んでみる。縦書きの段組は上下に割れ、段の間には細い罫が水平に走る。
縦書きの段組は、横書きのそれと様子が違う。行は右から左へ進みながら、段の切れ目で上の段から下の段へ落ちる。新聞の一面がまさにこの形で、目は大きく蛇行しながら紙面を渡っていく。
画面の上でも同じことが起きる。段の高さが半分になるぶん一行は短く、呼吸は浅くなる。長い評論より、短い報せに向いた組み方である。ここでは二段に割ったが、罫を挟んで三段、四段と刻めば、紙面はいよいよ新聞めいてくる。
巻物から新聞へ、新聞から画面へ。器は変わっても、右から左へ流れる時間の向きは変わらない。
机上の窓
二〇二六年八月七日
机の間は、この舞台のOSへの一歩目である。右端に帯、机の上に窓。窓の題は右肩の縦帯に立ち、閉じる釦は「閉」の一字。窓の中では豎帳や手帖が、単独で開いたときとまったく同じに動く。
いまはブラウザの中の机にすぎない。だがいずれは、電源を入れた瞬間から縦書きだけの画面が立ち上がる機械を作りたい。道筋はREADMEに記した。まずはこの机で、窓を右から左へ並べる暮らしを試している。
10年後の計算機がどちら向きに文字を流しているかは、誰にも分からない。ただ、縦に流してみなければ分からないことが、こんなにあるとは思わなかった。